山梨大学眼科での20年の経験を生かし、緑内障外来、小児眼科、眼鏡コンタクト処方など、甲府昭和中央市地域の医療に貢献いたします。

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浦島太郎罪人説

御伽噺には、子供に教え諭すための教訓というものが必ず入っている。
それは今でも子供に対する最も有効な道徳教育の手段となっている。従って、内容は大変分かりやすい。正直者はいつか報われて、ずるをする者は必ず最後に罰が当たるのである。「花咲爺さん」しかり、「金の斧銀の斧」もしかり。

しかし、この法則に当てはまらない謎の多い御伽噺がある。それが「浦島太郎」である。私は最近、山梨でこの謎を解く事例を経験したので報告する。

浦島太郎伝説とは?

童話「浦島太郎」は亀を助ける“善行”をする事によって、竜宮城に招かれるのだが、家に帰ると家族や、知り合いは居なくなり、自分も白髪の老人になってしまうという”罰“を受けるのである。

亀を助けた心優しい太郎が最後に手厳しい罰を受ける結末に、納得がいかない読者も多いのではなかろうか。この事から、この童話は他の童話と一線を隔しており、実際に有った話とする”実話説“が出ている。もっとも有名なのは藤子F不二雄氏の宇宙人による海底基地説(浦島事件の謎に挑戦:ドラえもんスペシャル)である。

しかしながら、現在なお宇宙人が確認されていない状況で、この説が正しい確率は、宇宙人が地球に居る確率に等しいといえる。

山梨での事例

昔々、埼玉の片隅で一生懸命勉強していた学生に、そのご褒美にと山梨医大から合格通知書が届いたとさ。

隣の県だしすぐに帰れると思った学生は鈍行列車に乗り、峠を越えたのじゃった。峠の向こうの山梨は大変綺麗な別世界。新設医大の生活は楽しい事ばかりで気がつくと何年もの月日が過ぎておったそうな。

医者になった後も仕事や研究に没頭しほとんど埼玉に帰ることが無かった青年は久々に、埼玉に帰るとすっかり老け込んだ親に驚愕するのじゃった。

その後まもなく両親は亡くなり、青年は持ち帰った業績箱を開けると、中身の無いものばかりで、誰にもその価値は分からなかったそうな。青年は鏡を覘くと、そこには白髪交じりの皺だらけの顔がありました。「ほんのついこの間、埼玉を出たばかりなのに、、、」

事の真相

山梨の事例は、実はどこにでもある話である。
従って、大昔に同様な事があり、御伽噺に作り変えられたと考えるのが妥当である。推測される真相は次の通りである。

とある地方の田舎町に都を夢見た太郎が居た。都に憧れて、一旗上げたいと思っていたが、年老いた母は足手まといである。コッソリと誰にも告げず、村を飛び出した太郎は、十数年後に都で成功する。故郷に錦を飾るつもりで帰郷した太郎は、既に中年の域を超えつつあったが、小奇麗に若作りしており、いわゆるチョイ悪オヤジ風のいでたちであった。

実家に帰ると、既に親は死んでいなくなっており、親しい友達も戦で死んでいた。自分の成功を喜んでくれる人はもうそこには居なかったのである。
「どうして急に居なくなった。」村人の問いに「た、助けた亀に連れられて、、、」、「それじゃどうして直ぐに戻らなかったんだ。」との問いには「向こうでは3ヶ月くらいしか経っていなかったんだ。」太郎は口からでまかせを言って言い訳をするしかなかったのである。

都から持ち帰った宝箱を見せたが、田舎ではその価値が分かるものは居なかった。茫然自失の太郎はその後しばらく憔悴し、白髪を染めて若作りをするのをやめた。村人は数日の間に急に老け込んで白髪頭になった太郎に驚き、話をまとめて御伽噺として語り継いだのである。

御伽噺の教訓と太郎の罪

この御伽噺にはいくつもの教訓がある。順を追って説明しよう。

1.お礼だと言っても、知らない人の車(亀)に乗ってはいけない。

これは今では常識で、とんでもない事である。

2.家をでる時は行き先と帰りの時間を親に言う。

急に子供が蒸発したとなれば、親は半狂乱になって探したに違いない。その親の心中は察するに余りある。
ここで太郎が拉致被害者なのではと考える人もいるであろう。しかし、現に帰っており、帰ろうと思えば何時でも帰れる状態であったことは明白である。つまり、自分が幸せだったので、親の面倒も見ず、好き勝手をしていたのである。

3.親を放ったらかしにしない。故郷や古い友人を大切にしよう。

太郎の最大の罪は親を捨て、一人身勝手な事をしていた事にある。老齢の母親は扶助が必要であり、太郎には保護義務があったはずである。

以上の理由から、太郎は罪人であり、御伽噺の最後に罰を受ける筋でなんら問題は無かったのである。しかし、その後、御伽噺の作者には想定外のことが起こる。それは、童謡のヒットである。「昔々浦島は助けた亀に連れられて、、」このフレーズが大変インパクトが強く、浦島太郎が亀を助けた事だけがクローズアップされてしまったのである。

従って、浦島太郎は良い人という先入観が入り、教訓の全く分からない話になってしまったのである。そこで私は声高らかに断罪しなければならない。浦島太郎は罪人だ!!

4.玉手箱は開けない方が良い。
(自分の宝・プライド・信念・夢は捨てない方がよい。)

太郎が最後に受けた罰は、玉手箱を開けて乙姫様との約束を破った事に対するものだと主張する学者も居る。しかし、玉手箱を開ける以前に親や友人は居なくなっており、十分に罰を受けている。追い討ちをかけるように与えられた罰の意味は幾つかの解釈が可能だ。

私の解釈は前記の様に、親や故郷を捨てる事と引き換えに手に入れた玉手箱は太郎にとって大事なものであった。一生玉手箱を開けなければ、その中に詰まっているであろう宝を信じて「親は失ったが、この宝を手に入れられた」と満足して、生涯を終えられる可能性があったのである。
しかし、その中身を疑って開けてしまった事により、中身の無い空箱である事に気付いてしまった。太郎が得たものは何も無く、後悔だけが残ったのである。

私の玉手箱

乙姫様は言いました。「またここに戻って来たければ、決してこの箱を開けてはなりません。」もしも太郎が、玉手箱を開けなければ竜宮城にいつの日か戻っていたのであろうか。もしかしたら幸せな人生で、めでたしめでたしで終わるのかもしれない。

私はこの春開業する。開業と聞いて、残念だという人も多い。国内外の学会で多くの楽しい時間を過ごした研究仲間たちからすると、それは引退を意味し、もう二度と会えなくなるような感覚になる。現に、開業した先輩は、「もっと早く開業しておけばよかった。大学で無駄な時間を過ごした。」と言って、学会でも会えなくなっていく事が多い。

研究生活をしていた者が開業するという事は、竜宮城から現実の世界に戻るようなものかも知れない。とすれば、玉手箱さえ開けなければ、竜宮城に戻れるかもしれないし、きっと良い事が有るに違いない。問題は、玉手箱を開けずに我慢できる人は少ないという事実だ。

卒業生へ

都会から山梨のよさに気付き、移住する人が多いのと裏腹に、山梨育ちの者は都会に出たがる。「毎日山に囲まれていると、山の向う側に幸せが有るように思えてくる。」以前に地元出身の同級生が呟いていた。卒後臨床研修で自由に研修病院が選べるようになり、一度都会に行った学生はたいてい戻ってはこない。それも仕方ない事である。だが、一言アドバイスしなければならない。決して浦島太郎には成るなよと。
2008.3.18山梨医大眼科同門会誌より